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『地下鉄サリン事件戦記―1995年3月20日、その時、首都は「戦場」となった』

福山 隆 氏 (陸上自衛隊32普通科連隊・元連隊長)

 阪神淡路大震災と同じ15年前に起こった死者12人、重軽傷者5500人以上を数えた未曾有の化学兵器テロの現場に「災害派遣」出動を命じられた陸自連隊長の長い苦悩の一日を語っていただきました。以下要約します。

 32普通科連隊は日本の政治経済の中心である東京の市ヶ谷にある山手線内唯一の実動部隊である。任務として首都圏の防衛、警備、災害派遣、中央観閲式への参加などがあり、特に皇居や国会を守るため、隊員の間では「近衛連隊」と呼ばれている。隊員たちは高い資質を持ち、他の隊に比べ知能指数も高く、様々な状況への適応力も高い。かつては直木賞作家の浅田次郎氏もこの隊に所属し、しばしば32連隊のOB会に出席され「わが青春時代を過ごした最高の組織」と言われているそうである。

 サリン事件当日は月曜日であったが、以前の休日を訓練に充てていたため統一代休となっており多くの隊員が代休を取っていたため、市ヶ谷駐屯地にはわずかな留守部隊しかいなかった。福山氏は離任する隊員のための送別ゴルフコンペのため早朝より千葉県のゴルフ場に出かけていたが、ハーフを終わった午前10時半ごろに連隊当直部からのメモをみて、「何か重大な事が起こったのでは?」との第六感がひらめき、すぐさま市ヶ谷駐屯地に引き返した。午後一時過ぎに駐屯地にたどり着いたが、その20分前に災害派遣命令が出されていた。その間留守部隊は非常呼集をかけたが、異変を察知して自主的に戻ってくる隊員もいて226名の隊員が集まった。

 一方化学兵器に対応する化学防護隊(化防隊)は大宮市にある第101化学防護隊、練馬区にある第一師団化学防護小隊、群馬県にある第12師団化学防護小隊の3隊が福山氏の指揮下に加えられることとなった。しかしこれらの化学防護隊が現場に到着するには時間を必要とした。ここで福山氏は重要な決断をすることとなった。すなわち第一案:配属された化学部隊の到着を待って普通科・化学部隊が合体していく案、第二案:当初普通科が前進し対応し後で化学部隊が合流する案の二つである。第一案は安全確実に事態に対処できるがタイミングが遅れるという欠点があった。第二案は迅速な部隊派遣により情報収集が行われ事後の行動の準備ができ、そのため効率的な除染ができ何より自衛隊が出動することにより国民に安心感を与える効果があった。同じ年におこった阪神淡路大震災の時、自衛隊の災害派遣が遅れたとの非難があった事もあり、第二案を選択した。歴史的にも関東大震災の際に陸軍が騎馬隊100騎で目抜き通りを行進したところ人心が落ち着き治安を回復できたという実例があった。

 連隊は出動可能な隊員約120名と3個の化学部隊の70名で4個の除染隊を編成した。4隊は日比谷隊、小伝馬町隊、霞が関隊、築地隊である。その時大宮の第101化学防護隊より6名の幹部が到着しておりこの専門家が普通科連隊に同行することとなった。編成完結式(出陣式)の際、福山氏は隊員に不安を与えることがないようにゆっくりと大きな声で「さあやるぞ、これこそ我々が待ちに待った国民の役に立つ時だ。」と訓示を与えた。

 現場では防護服に身を包み、検知しで毒物の有無を検知し、苛性ソーダの薬液を噴霧しデッキブラシでこすって中和する除染作業を丹念に行った。現場のエピソードとして中村一尉はサリンが除染されたことを証明するため自ら防護服のマスクをはずし、安全を証明した。除染の翌日、地下鉄が始発から動き出し体調不良を訴える乗客がいないかと心配したが午前9時になって、何事も起こらず初めて任務完了という気持ちとなった。

 この事件において警察はセクショナリズムが強くお互いの警視庁、県警間の情報の共有もせず、自衛隊に対しても情報の隠匿していた。もし情報が共有されていれば対応も迅速であったかもしれない。

 日本ではこの事件が一過性で「のど元過ぎれば熱さを忘れ」という感があるが、アメリカはこの事件を十分に検討している。9.11の際もアメリカは徹底的に原因究明を行い、再発しないためのシステムの構築を行っている。

 事件後の話としてオウムの武力行使が想定されたため、師団から密封封筒が届き、中には最悪の事態、対オウム戦争の作戦計画があり、連隊は対応策をとっていた。

 最後に今後の日本に必要なものとして1.情報機能(保持)の強化。特に日本人は性善説であるが他の国は性悪説が多く『生き馬の目を抜く』世界である。国際的スタンダードに基づいたインテリジェンスを持たなければならない。2.縦割り行政の弊害を克服し情報を共有化し対処計画を作製する。3.教訓を執拗に検討して対応していく(のど元過ぎれば…ではいけない)。と述べられ、講演会は終了した。生田支部長も『我々の知らない話がたくさん出てきた』と述べられた。

 今回の参加者には広仁会広島支部より福山氏の直筆サイン入り著書『地下鉄サリン事件戦記』が各自に贈られた。