広仁会広島支部 > イベント報告 > 第6回ホームカミングデイに参加して




第6回広島大学ホームカミングデーに参加して
― 垣添忠生先生講演会 ―


 広島大学ホームカミングデーは毎年11月の第一土曜日に開催されています。
 今回霞キャンパスでは一週遅れの11月10日土曜日に、医師として多くの人生と向き合い、癌となった最愛の妻を自宅で看取り、自らも癌を患われた、国立がんセンター名誉総長、日本対がん協会会長の垣添忠生先生の講演会が開催されました。先生の講演会に参加してまいりましたので報告いたします。
 先生のお話は4部で構成されていました。


1. がんの診断と治療


 皆様よくご存知であるように、早期に発見できるようになり、治療も手術であれば縮小手術となり、放射線治療であれば陽子線治療のように優れた線量集中性のある治療が開発され進歩してきたことを具体的な例を提示されました。
 またがん診療の現状として各科の医師が集まってのカンファレンスが重要となり、チーム医療の重要性を話されました。


2. 人の生死とその多様性

 人はいろいろな人がいて、僅かな体の異常に気づき、早期にがんを発見できる人もいれば、多くの症状が出てもなかなか受診せず発見が遅れる人もいます。自分の体の異常に対する反応は様々です。
 また、がんが発症しても人によって対応は異なります。「がん6回人生全快 現役バンカー16年の闘病記」の著者である関原健夫さんは39歳の時大腸がんが見つかり、組織型から治る確率15%と診断を受けましたが治療を受け、その後も肝転移、肺転移を来たしたにもかかわらずその都度治療を続けて克服されていますし、著名な作家の開高健さんはヘビースモーカーで、大酒家で食道がんとなり59歳で亡くなっています。彼は酒とタバコが発がんリスクは高いことは知っておられたでしょうが酒とタバコを続けられており、「緩慢なる自殺」かもしれません。
 他にもがんが見つかっても手術を拒否される人もいますし、多発性転移があっても黙々と治療を受ける人もいます。後者は先生の奥様です。


3. 妻を看取る日

 奥様は肺右下葉にわずか6mmの陰影が見つかり陽子線治療で完全に消失したもののわずか6ヶ月で肺門転移を来たしていました。小細胞癌と診断を受け化学療法と放射線療法を行ったにもかかわらず多発性転移を来たしその後も化学療法を続けましたが、最後に「家で死にたい」という希望があり2007年12月28日に外泊し、12月31日に先生の手を握り自宅で亡くなられました。
 先生には毎年数回奥様と奥日光を訪れておられ、そこが思い出の場所となっています。
 奥様を亡くされた後、40年間の人生の伴走者を喪失された先生は3ヶ月間、苦悩の中で過ごされ、その後「死ねないから生きる」から「積極的に生きる」という方向に転換され、山、カヌー、居合、執筆に精を出しておられます。特に執筆で「妻を看取る日」を書くことで心の奥底を吹き出すこととなっているそうです。奥様は葬儀を出すことを希望されなかったので、葬儀は出されなかったのですが、油絵を描かれていた奥様の遺作展を開催することを思いつき、カタログを作る作業をしながら亡き妻のことを偲びながら遺作展を開催されたところ、奥様をご存知の方々が集まられ、偲ぶ会となりました。
 現在奥様が亡くなられて5年が経ちますが、先生は悲しみを抱いたまま生きる術を身につけ始めておられるようです。


4. がんと人生

 1) 人生はブラウン運動
  人は多様性を持っており、最大10の27乗の宇宙から10のマイナス35乗の素粒子の世界に漂う儚い
   存在である。

 2) 私の人生観
  妻が亡くなって死ぬことが怖くなくなったこと。
  葬儀も墓も不要。在宅で即身仏のように死にたい。色即是空。

 3) 自分に課している事
  @ がん検診を国の事業に戻すこと;より多くの国民が検診を受けれるようにするため
   A がん登録を国の事業とすること;正確な現状の把握のため
   B 在宅医療、在宅死を希望する人に在宅医療を届ける体制の実現
  C グリーフ・ケアを医療システムに取り入れること


  先生の講演は実体験に基づく感動的なお話でした。この記事ではその感動はお伝えすることはできません。是非先生の著書「妻を看取る日」をお読みください。

広報担当 竹本元義