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平成26年ホームカミングデイに参加して
― マツダ株式会社 広報本部 本部長 工藤秀俊氏 講演会 ―


 平成26年11月8日(土)に霞キャンパスで、第8回広島大学ホームカミングデー霞部局合同企画講演会が行われました。今回は、マツダ株式会社広報本部 本部長 工藤秀俊氏を招聘し、「『走る歓びの革新』の先に…」のテーマでご講演されました。

 講演内容の報告をする前に、日本における自動車産業の歴史やマツダの発展の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。 日本の自動車産業の出発点は、1907年の東京自動車製作所の「タクリー号」の生産から始まりました。1933年にトヨタ、1034年に日産が本格的に進出し、日本の軍用トラック生産を任されたことが国内の自動車産業の発展の基礎となりました。 また、敗戦後に連合軍によって航空機の開発、生産が禁止された期間の影響で、航空機に携わっていた技術者が自動車産業に流入し、航空機で使われていた技術や設計手法などが自動車の開発に導入されたことも、日本の自動車産業の近代化、技術力の高さの要因の一つになっていることも忘れてはなりません。 マツダとその歴史は古く、1920年(大正9年)に「東洋コルク工業株式会社」として創業し、その後1927年(昭和2年)に社名を「東洋工業株式会社」に変更し、1931年(昭和6年)にはトラックマツダ号の生産を開始しています。 世界で唯一のロータリーエンジンを搭載した自動車を量産していたのは記憶に新しく、近年では、燃費効率の向上を図る「SKY ACTIVE TECHNOLOGY」を掲げて、世界の注目を浴びています。 因みに、現在のコーポレートマーク「MAZDA」の由来は、事実上の創業者である松田重次郎氏の姓と、叡智・理性・調和の神を意味するゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーにちなみ、自動車産業の光明となることを願ってつけられたそうです。

 それでは本題の講演「『走る歓びの革新』の先に…」についてご報告致します。

1. ビジョン
  走る歓びを通して、手放す時が一番辛いクルマ造りを目指し、そのために鉄の塊に魂を吹き込み「一目惚れするデザイン」とした。日本国内5%シェアの小さな会社であるが、一目見てマツダと認識されるデザインを適用し、チーターが持つ生命感や動きをスタイリングに表現した。

2. マツダの歴史
 終戦4日後、広島に笑顔と活力をお届けするため向洋で生産を再開した。フォート時代は、地域貢献ができず地域と断絶した時代だった。2001年は、ブランドメッセージZOOMZOOMでブランドを建て直そうとした時期である。

3. マツダのクルマ造り
  〜静的性能〜
 人馬一体の走り(意のままに走る)日常コースで感じる楽しい運転、安心安全に走る歓びを堪能できるクルマを届けたい。 例えば、ドライビングポジション(運転姿勢)は、宇宙遊泳しているような「脱力状態」が一番良いと我々は考え、ペダルレイアウトを右側にシフトさせ腰への負担の少ない運転姿勢と、シートはフラットな体圧分布と体幹を包み込む広い接触面積による「脱力状態」を実現し、不快感抑制と乗り心地改善の両立に成功した。
 〜動的性能〜
 ハンドリングは、意のままに操れることにより運転中の意識を解放し、コーナリング時の加速度、不安定な動きを抑制する安全技術により走る歓びを実現した。 マツダは、デジタル値ではなく“人”で最終的に評価し、数式では表せない人の感覚・感性を大切にしている。

4. マツダの考え方・想い
  先輩から受け継いだDNAを大切にし、対価以上の価値を提供しようとする日本ならではの“おもてなしの心”を、日本企業なのでこういう価値観を大切にしたい。 「広島と聞いて何を思い出すか」の質問の答えベスト5にマツダは入っていなかった。これまで、地元に貢献できなかったという反省がある。これからは、広島で愛される企業となり、2020年に創業100周年を祝っていただけるような企業になりたい。信頼される企業になろうと、全社員心をひとつにしているところである。

5. 終わりに
  質疑応答コーナーでは、「ハイブリッドカーのフロントガラスの角度」や「感性にマッチする工学技術とは?」、「昨今の若者のクルマ離れについてどのように考えるか」等の質問があり、工藤氏は「若者にカッコイイと思わせる、インスパイヤーさせイマジネーションさせるクルマを造っていきたい。欧州では、大人がカッコ良くクルマを乗りこなしている。日本もそうなれば、若者のクルマ離れを阻止できるのでは…」と回答された。

 以上、簡単に報告しましたが、当日はクルマ造りへの熱い思いがひしひしと伝わってくるご講演でした。

広報担当 山東敬弘(昭和58年卒)