広仁会広島支部 > 新規開業会員のご紹介 > 平成22年 新規開業会員のご紹介




 平成22年中に開業された広仁会広島支部会員の先生方をご紹介します。
 個人情報保護法案の施行以来名簿作りが困難となり、新規開業の先生方の正確な情報を把握することも大変難しくなっています。掲載漏れの先生がございましたら幹事までご一報いただけると幸甚に存じます。(50音順)



小田内科クリニック
広島市安佐北区可部4丁目23-13

 平成22年9月末で広島市立安佐市民病院を辞し、11月1日に安佐北区可部の地に開業いたしました。自己紹介を簡単にいたしますと、昭和61年に広島大学を卒業し、2年間広島大内科ローテーション研修をしたのち、広島大学第二内科に入局し、国立療養所柳井病院に出向しました。広島大学大学院に帰局後は、社会保険広島市民病院(現広島市立広島市民病院)、中国労災病院、安佐市民病院に赴任し、糖尿病を中心に代謝内分泌疾患を専門に診療を続けてまいりました。そのため、クリニック内で血糖、HbA1c、生化学検査、甲状腺機能検査等を一通りできるようにし、糖尿病、内分泌疾患を中心に診療していきたいと思っております。とは申しましても、安佐地区のみならず、県北の一部地域も診療圏ですので、一般内科も一通り診ることができるようになりたい、あるいは診ることが使命の一つだと考えております。開業すると勤務医とは異なる業務が沢山あり、戸惑うことも多いのですが、逆に新鮮で楽しい気持ちにもなれています。まだまだ学ばなければならない身ですので、広仁会のみなさまには、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。また、学生時代から観るのもするのも大好きで、最近はもっぱら観るだけになっていたスポーツ全般を、なんとかする側にも回りたいと思い、まずはゴルフや釣りを定期的にしたいと思っております。また実戦jから遠ざかって久しく、力が衰えていると推定される囲碁も、棋力向上に励む所存ですので、各領域の達人の先生方で、一つ鍛えてやろうというお気持ちがおありの方は、ぜひご教授ください。

小田 清 (昭和61年卒)


医療法人社団 なごみクリニック
広島市中区竹屋町6-3

 皆様には平素よりお世話になっております。私は、平成22年4月1日に、管理医師交代のため、なごみクリニック院長に就任いたしました梶川広樹と申します。経歴としましては、平成9年に広島大学医学部を卒業後、広島大学精神科(1年)、加計町立病院(2年)、府中みくまり病院(4年)、リフレまえだ病院(6年)に勤務いたしました。当院は、重度認知症デイケアと精神科・心療内科クリニックを併設しております。重度認知症デイケアには、認知症の周辺症状(せん妄、暴言、易怒性、興奮など)のため日常生活に支障をきたした方が多く参加されております。精神科・心療内科クリニックには、うつ病、パニック障害、社交不安障害、不眠症などの方が通院されております。ところで、私は子供の頃からサッカーが好きで小学校6年生の時に観た1982スペインワールドカップ以来、それ以前、それ以後のサッカーの映像を取り寄せ、何度も観たり、雑誌を読み漁ったりしました。自分なりにたくさんの選手を観てきましたが、その中で、自分の心にぴったりとフィットした選手が2人いました。一人は1974西ドイツワールドカップで大活躍したトータルフットボールの申し子、オランダ代表のヨハン・クライフです。リヌス・ミケルス監督のもと、「皆でやるサッカー」の理想形を表現した中心的存在です。そして、もう一人は1990年代中盤から2000年代前半に、ポルトガル代表で活躍したルイ・コスタという選手です。当時、日本ではポルトガル代表のルイス・フィーゴという選手が有名でしたが、私にとっては断然、ルイ・コスタのプレーのほうが印象的でした。歴代の選手をみても、総合面ではペレ、個人技ではマラドーナ、その他、ガリンシャ、ベスト、ベッケンバウアー、ジーコ、プラティニ、ジダン、ロナウドなど挙げればきりがないのですが、私の中の直観というか、フィーリングというか、心に深く深く浸みわたっているのは紛れもなくこの二人なのです。こうした自分にとっての心のオアシスを大事にしながら、今後も日々の心療に精進して参りたいと思いますので、今後とも何卒ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

梶川 広樹 (平成9年卒)


木村整形外科リハビリ・ペインクリニック
広島市東区若草町11-2 グランアークテラス3F

 平成22年4月12日に、広島駅新幹線口に、木村整形外科リハビリ・ペインクリニックを開院させて頂きました広島大学平成3年卒の木村修司と申します。開院して1年が近づいていますが、開院準備から開院後も大変多くの方々にご協力ご援助をいただきましたことを、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。当院は、広島駅新幹線口タクシー乗り場の正面にあるグランアークテラスというビル3階のテナントで、シェラトンホテルから歩道橋でつながり、1階にはスーパー、2階には飲食店、4階以上には賃貸マンションがあります。3階はクリニックモールとなっており、エレベーターから順に、薬局、歯科、消化器内科、心療内科、当院と並んでいます。整形外科で足の悪い方等が通院されるのに、なぜ一番遠くかといいますと、往復の歩行がリハビリになるという理由に加えて、家賃が一番安かったからです。診療内容は、整形外科一般の治療と、理学(作業)療法士による運動器リハビリ、ペインクリニック(主に整形外科的な)を行っています。私は、昭和36年広島市内に生まれ、修道中高校を卒業した後たくさん勉強して広島大学に入学し、ぼちぼち勉強して平成3年に卒業しました。広島大学整形外科に入局して、広島大学病院、広島市民病院、加計町国保病院、マツダ病院、土谷総合病院、広島厚生病院で様々な整形外科疾患の研修をさせていただきました。家内も広島生まれで、ノートルダム清心中高校を卒業しましたが、平成4年に岡山大学を卒業後普通に麻酔科に入局したため、広仁会には入会させて頂いておりません。広島市民病院麻酔科勤務時に、ペインクリニックのトレーニングを受けましたが、麻酔をかけている方がいいみたいで、麻酔依頼の方を優先しているようです。整形外科に入局して休む間もなく手術に明け暮れていましたので、開院後も手術に携わりたく、水曜日の午後(クリニックは午前中で終了)には、以前勤務していた広島厚生病院や、整形外科同門の八丁堀平松整形外科消化器科病院で、夫婦で手術のお手伝いをさせて頂いています。開院した若草町という場所は、私の父親が昭和33年から接骨院をやっており、生まれ育った場所です。小さい頃から地域住民の方々には大変お世話になっており、地域医療に一生懸命貢献していく所存でございますので、広仁会の諸先生方にはご迷惑をおかけすることもあろうかと存じますが、ご指導・ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

木村 修司 (平成3年卒)


こころ・チャイルド・クリニック
広島市安佐南区伴南1丁目5-18-8-301

 広島市民病院での13年間の未熟児新生児医療にピリオドを打って、この度西風新都、こころのゆめビルにて小児科のクリニックを開院いたしました。父親が脳梗塞で死亡後体調がすぐれず、月に10回病院に泊まる生活に耐えきれず、開業の道を選択しました。開業してしばらくは、なぜ未熟児新生児医療を続けられなかったんだろう、という思いをなかなか消すことができず…。でも、今はこれでよかったんだ、と思えるようになりました。というのも、現在の日々の外来診療は、自分が医師になる前から思い描いていた本来の小児科医の姿に他ならなかったからです。小児科医師として新たなスタートです。慣れないことばかりでとまどうことも多く、開業までにもっと準備しておきたかったこともたくさんあります。子どもたちとお母さんが何を求めているかを感じながら、日々勉強していくしかない、と思っております。これまで専門としてきた発育発達健診、障害児フォロー、子育て支援などを中心に、小児科医療に幅広く携わっていくつもりです。4月からクリニックの1階上で病児保育室を開設することになりました。地域の人々に少しでも役に立つことができればという思いから開設を決意したのですが、同時に病児保育を通して日々の診療の目標でもある子育て支援につながっていくことを願っています。歩き出したばかりの新米小児科開業医ですが、皆様の御助言を大切にしてがんばってまいります。どうか、ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。マザー・テレサの言葉に、「大切なのはどれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです」という言葉があります。今私が大事にしているこの言葉は、これからも私の人生の支えになっていくことでしょう。

野村 真二 (昭和62年卒)


医療法人社団 福原医院
広島市南区翠1丁目2-11

 医療法人社団福原医院  祖父 福原慧がこの地に福原医院を開設したのが昭和2年、医師として5代目の父 福原有光が継承したのが昭和38年、そして昨年、父の急逝に伴い母教室の分子内科学(旧第二内科)講座から応援いただいておりましたが、このたび10月1日より、6代目として福原医院院長(理事長)を継承いたしました(http://www.fukuhara-iin.com)。通院中の患者さんには、祖父、父、私と3代目になります、と言われる方もおられ、感慨深いものがあります。医療は、経験に基づく医療から、エビデンス(根拠)に基づく医療へと移りつつあります。そのゴールとも言えるのが、ゲノム情報に基づくオーダーメイド医療(個別化医療)でしょう。私は内科診療とともに、25年間、この病気とゲノムの関係を追究してきました。この経験や生まれ育った地域ならではのネットワークを生かし、総合内科、リウマチ、呼吸器、アレルギー疾患を中心に、進歩しつつあるゲノム情報に基づく個別化医療もいち早く取り入れた「総合内科+専門医療」を実践してゆく所存です。今後ともどうぞよろしくご指導ご支援お願いいたします。

檜山 桂子 (昭和57年卒)


ほほえみ診療所
広島市中区西平塚町4-15

 私は、昭和61年に広島大学を卒業後、神経精神科に入局し、その後認知症や老年期精神障害を中心とした精神科医療を行っています。平成7年に呉市で診療所(精神科)を開業し、現在は医療法人ほほえみ会として、老人保健施設やグループホーム、デイサービス等の介護事業を運営しています。それと並行して、広島市内で有料老人ホームを経営(株式会社ハーモニー)しており、この度西平塚町にある有料老人ホームエクセレントの中に、訪問診療専門の診療所(ほほえみ診療所)を開設しました。これまでも、救急外来を始め、市内の整形外科や脳神経外科等の多くの先生方に大変お世話になっておりますが、今後共ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

平川 晃 (昭和61年卒)


ふじたこどもクリニック
広島市安佐北区可部4丁目23-13

 昭和60年卒業の藤田です。このたび広島市北部の可部町内で小児科医院を開業させていただきました。私の学生時代は現在よりものんびりしたもので、勉強はほどほどに、部活(卓球部)をやりながら、霞キャンプ、医学展などの行事にも顔を出しており、広仁会の先輩方からも色々な形でご援助をいただきありがとうございました。先日は長年卓球部を支えてこられた頼岡徳在教授の退官祝賀会で、ご無沙汰していた先輩・後輩の顔を見ることができ懐かしく思いました。入局した小児科学教室では、学生時代に医学展のシンポジウムでお世話になった当時日赤の上田一博先生が教授に就任され、ご縁を感じました。現在の小林正夫教授には最初の指導医を受け持っていただき、大変勉強になりました。その後は日赤、倉敷中央、大学での研究生活などを経て、平成12年より10年半、安佐市民病院に勤務しました。ここの小児科のユニークな点は、和合正邦主任部長のもと、入院患者全員について毎日朝夕2回のカンファレンスを行い、スタッフ全員が主治医として対応できるよう治療方針を確認していることです。夜間休日も患者さんに安心していただけるシステムで、初期・後期研修医だけでなく中堅以上の医師にとっても勉強になり、小児科全体のレベルアップにも貢献していると思います。病院機能評価や電子カルテ導入などよい経験もさせていただきました。平成22年11月に可部町のほぼ中心近くで小児科医院を開業しました。この冬はとりわけ寒さが厳しく、北側に窓のある診察室がなかなか暖まらないこと、広いだけの待合に患者さんがぽつんと座っておられる様子がまた寒そうで、申し訳ない思いをしています。開業したてで時間がありますので、子どもたちやご家族との対話を楽しみながら、少しずつ地域の小児医療のお役にたてるようになりたいと思っています。今後ともご指導のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

藤田 篤史 (昭和60年卒)


医療法人 川手内科クリニック
広島市中区大手町3丁目13-8 本逕ビル2F

 平成22年4月1日より、広島市中区大手町の川手内科クリニックを継承開業しましたのでご挨拶申し上げます。昭和61年広大卒業後、安佐市民病院麻酔科にて2年間研修いたしました。麻酔中に最も気になる心臓に興味がわき、昭和63年、生まれ故郷の福岡にある九大循環器内科に入局し循環器を中心とした研究及び内科臨床に携わるようになりました。平成6年に広島に戻り、以後16年弱広島赤十字原爆病院循環器科に勤務いたしました。この間、広仁会の先生方には大変お世話になりました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。もうすぐ開業一年となりますが、まだまだ戸惑うことも多くいろんな方に支えてもらいながら、患者さんのお役に立てるよう微力ながら精一杯頑張っているのが現状です。電子カルテ導入など課題は山積みですが、あせらず自分のペースで前に進みたいと思います。今年4月には、クリニック名称を“よしだハートクリニック”に変更する予定でもあります。普段は、地元広島で多数の先輩後輩の先生方に囲まれて仕事をしており、あえて広仁会を意識することはありませんが、先日、広大医学部5年生のチューター会の集まりに、OBとして参加させていただく機会がありました。最近の医学生のホンネ、指導教官である教授の苦労話あるいは霞キャンパスの劇的な変化などを聞くことができ、久しぶりに母校を懐かしく思い出しました。卒後24年も経つと広島にいながら母校のことを何も知らないという状況になっており、今一度私の原点の大切さを認識いたしました。これからも広仁会の皆様にお世話になることは確実ですが、少しづつでも恩返しできるように精進したいと思っています。引き続きご指導ご鞭撻宜しくお願い申し上げます。

吉田 知己 (昭和61年卒)